回向 2023年10月カレンダー
「念仏というのは私に現れた仏の行い」
煩悩の眼では仏さまを見ることはできません。けれども南無阿弥陀仏と称えれば、いつでもどこでも阿弥陀さまがご一緒であると感じます。
「南無阿弥陀仏」と称えることを浄土真宗では「称名報恩」と言いますが、これは、称えるという私の行いが報恩であって、称えられる「南無阿弥陀仏」は報恩ではない、と教えていただいたことがあります。
称名が報謝であるとは、称名の称が報謝であるというのであります。称えるという私の仕事について報恩というのであって、称えられる名号は報恩ではありません。
南無阿弥陀仏とは「ありがとうございます」という意味だと言ってはなりません。
南無阿弥陀仏は、何時何処で聞いても称えても、「そのまま来いよ」のお喚び声であります。
阿弥陀仏は衆生にかわって至心(真実の心)をおこし、欲生(往生させよう)と願い、信楽(救いとることに疑いのない心)を完成し、それを南無阿弥陀仏に込めて回向してくだされた。
回向された南無阿弥陀仏を聞くままのお救いが浄土真宗。