永代経法要 2023(令和5)年10月3日

10月3日から3日間、永代経法要のご縁にあわせていただきます。

「指方立相」と「無相離念」と「立相住心」

仏さまが在しますさとりの世界は本来は無方無相である。それなのに釈尊は、西方にお浄土がある(指方立相)と説かれた。それは何故か?

「無相離念」と「立相住心」とはどういうことか、紫藤先生はご自身の行動を引き合いに出して話をされ、聞いている私たちは大いに笑わせてもらったのだけど。

紫藤先生がお説教に出かける日の朝、奥さんがゴミ出しのことで文句を言ってきた。言われた先生は、何も出かける時に言わなくても、帰宅後に言えばいいのにと怒りの心が起きた。お説教先のお寺に着いて、怒りの心を忘れよう忘れようとしても出来ない。もうすぐお説教が始まる時間だ、お説教に集中しよう集中しようと思っても出来ない。

西方にお浄土があると聞いて、西にずっと行ったら地球は丸いから元の地点に戻る(だから西方に浄土は無い)とか、そんな話は子供だましだとか、古くさいおとぎ話だというのが現代人。常識で考えたら西に浄土があるわけないと。

ではそんな貴方は無相離念できますか?立相住心できますか?お浄土がわかりますか?それができたなら、その人は既にさとりをひらいています。

無相離念もできないし立相住心もできない。ならばお浄土は、太陽が沈むずっと西の彼方にあると思いなさいよ、とお釈迦さまが示してくださったのです。

朝日歌壇で紹介された句に

「あの世では肩車してもらうんだ」戦死の父に会えたか友よ

本作の趣旨は、「今は亡き私の友人の彼は、『あの世では肩車してもらうんだ』と、優しかった父親との思い出を、よく口にしていたが、その優しかった戦死の父に、冥土で会えたか?私の友よ」という事でありましょう

朝日歌壇

紫藤先生はこんなふうに言われました。この亡き友人にとって死ぬということは、たんに肉体が死ぬということではない。戦死した父に、あの世で会える。そしてこの人は子どもに戻ってお父さんに肩車してもらうんだ、と。この一点において、この人にとって死には意味があるのだと。

お浄土は説明なんてできません。説明できないということは、自由に思って良いということなんだとも。

浄土真宗

Posted by kuro