一一光明遍照十方世界 念仏衆生摂取不捨

2023年6月25日

一一光明 遍照十方世界 念仏衆生摂取不捨 (仏説観無量寿経)

一々の光明は、あまねく十方世界を照らし、念仏の衆生を摂取して捨てたまはず

このご文は、仏説観無量寿経の中の「真身観」に出てきます。真身観とはざっくり言うと、阿弥陀仏のお姿と光明を心に念じなさいよ、ということです。どんなお姿と光明なのかも詳細に書かれています。その光明について書かれている中でも超有名なご文がこれです。

「光明遍照十方世界 念仏衆生摂取不捨」と聞くことが多い気がしますが、私としては「一々」というのが実に有り難く思うのです。

一般的に光を一つ二つとか一本二本とは数えないと思います。しかし真身観では、阿弥陀仏には大きな特徴が八万四千あって、さらにその各々に小さな特徴が八万四千あって、さらにその各々から八万四千の光明が放たれているというのです!ちなみに八万四千とは多数、無数の意味です。

八万四千×八万四千×八万四千の光の一つ一つがあらゆる世界を照らす。一つの光が一箇所を照らすのではなく、一つの光があらゆる世界を照らす。その光が無数にある。まっっったく逃げ場がないです。背を向けても隠れても、全方向から照らされてしまいます。

源信和尚はこの文を受けて、往生要集というご著書の中で次のように述べておられます。

われまたかの摂取のなかにあれども、煩悩、眼まなこを障へて、見たてまつることあたはずといへども、大悲だいひむことなくして、つねにわが身を照らしたまふ。

源信和尚『往生要集』

阿弥陀仏の光の中にいても光がわかりません。光を見ることもできません。煩悩の眼が邪魔をして光が見えないと言われています。ですが阿弥陀仏は、煩悩をかかえた私を捨てられることはありません。朝も昼も夜も四六時中ずっと照らしてくださいます。

光の存在がわかるのは、空気中の細かいチリがキラキラしているのを見たとき。影ができているのを見たとき。自分の醜さに気付かされたとき、光に照らされていることがわかります。

私はだいたい阿弥陀様を忘れて生活しています。今日も朝から飼い猫に腹を立ててしまいました。猫は何にも悪くないのに。昨日は可愛いと思ったのに今朝は憎たらしかった。小さな慈悲心もない自分を知らされ情けなく悲しくなります。そんな私だからこそ阿弥陀様はずっと照らし続けてお慈悲の中に住まわせてくださるのだなあと、しみじみと思います。 合掌

浄土真宗

Posted by kuro